2ヵ月も前の話になってしまうが…今年もまた『日本酒の日コンサート』に行ってきた。
毎年10月1日に歌手・加藤登紀子さんを我が多可町に迎えて開かれるこの催しも、旧中町時代から数えて17回目。中町改め中区には“日本一の酒米”として名高い
『山田錦』発祥の地といわれる安田郷がある。『ほろ酔いコンサート』で有名な“お登紀さん”を酒米の里に呼んで歌ってもらおう、そう思い立った地元の人々の熱いラヴコールが実って平成4年に最初のコンサートが開かれ、その後定期公演化したものだ。毎年公演当日には採れたての山田錦を使った『登紀子ブランド酒』が披露され、“乾杯席”と呼ばれる前方のテーブル席では登紀子さんの歌とお酒、両方をじっくりと堪能できるようになっている。
限定の登紀子ブランド酒はご本人が命名し、達者な筆で直々にその名が書かれた郷土の伝統和紙・杉原紙のラベルに包まれる。記念すべき最初の一本の名は「島唄」。その後「わんから」「されどわが心」「蒼空」「祭」「遊」…と続き、私が初めて行った11年前の公演時のお酒は「夢」。農業を始めたのをきっかけに、長いブランクを経て久しぶりに観た2年前のは「あまのじゃく」。昨年は「ほろよい物語」。そして、今年のお酒は一風変わった名前で、「1968」と名付けられていた。
ステージはお馴染みのシャンソン
『さくらんぼの実る頃』で幕を開けた。私はシャンソンを聴き始めて日が浅く、およそ不案内ではあるのだが、それは何というか、あらかじめ成熟した視点で書かれ歌われるもの、といった印象がある。主題は“愛(l'amourラムール)”そして“人生(la vieラヴィ)”そのもの。故に、歌い込むほどに深く味わいが増してゆくのだろう、と思える。曲は『時には昔の話を』『ひとり寝の子守唄』…と続いてゆく。登紀子さんの高音域が擦れている歌声が、またなんとも魅力的だったりする。衰え?(失礼)をも歌唱法=芸に消化してしまっている、というか。あたかも熟成された名酒の様な“シャンソン・ジャポネーズ”。
前半の最後は美空ひばりの『愛燦燦』。毎回初披露されるカヴァー曲、昨年は尾崎豊の『 I LOVE YOU 』だった。長年歌われてきた代表曲達に比べるとやはり熟度の違いは歴然だが、多分そんな事は百も承知で、自分が惚れ込んだ他人の楽曲をなんの躊躇いも無く歌ってしまう、そんな登紀子さんがまたいい。あれだけのキャリアを持ちながら、ベテラン歌手だとか大御所だとかの呼称が似合わないひとだと、つくづく思う。
後半はがらりと趣向が変わり、意外や『イマジン』と『ヘイ・ジュード』から始まった。ロックの時代を牽引したビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニー。各々が生み出した、今や双璧と呼べる名曲。その詩に込められたメッセージを登紀子さんは自分の言葉で翻訳し、力強く唱い、語った。“同級生”と呼ぶビートルズを歌う彼女の姿は、実に堂に入ったものだった。そして新曲『1968』。今回のテーマ曲だ。次いでベトナムの、フランスの、当時の反体制ソング…。
1968年。自らの出発点・原点だと登紀子さんがステージで語ったその年。今は亡き夫・藤本敏夫さんとの出会いがあった。まだ幼かった私には当時の微かな匂いとざわめきしか記憶にない。追体験で知った“60年代”。若者の時代・革命の季節。世の中を変えていこうとする意志と情熱が、世界の到る処に溢れていた。其処で唱われる熱っぽい“うた”の数々には青臭いけれども、真摯なメッセージがあった。性急で赤裸々なロック。“円熟のシャンソン”とはまるでかけ離れて見えるうた世界。登紀子さんはロック歌手ではないけれども、あの時代の精神・spiritを萎えさせずに、しっかりと胸に抱えて生きてきたのだと、はっと気がついた。
「68年」ていったいなんだったのか。
68年、もっと素敵に生きられる時代を求めて、
悶々とした思いを抱えながら
世界中が叫びをあげた。
68年はある意味火ぶたを切った時代。
敗北感や挫折を感じている人も多かったけど、
そうした人たちが始めた消費者運動や、
農業などが、新しいNGO的な動きとなった。
その当時は時代の流れでは
なかったかもしれないけど、
今の時代の準備だったように思う。
あの68年がなければ今の21世紀はなかったし、
オバマ政権もなかったかもしれない。
そう考えた時に私は、
1968年を挫折や敗北として思い出すのではなく、
スタートだったのだと思うことにした。
〈
加藤登紀子オフィシャル・ブログ/「1968」特集ページより〉
そういえば、目を細めながらやんちゃな孫の様子を語って、『男って小さい時から破壊する事が好きなのよね…。』ぽつんと、そんな事を言った登紀子さん。
再びシャンソンが歌われる。エディット・ピアフの『愛の讃歌』。駆け出しの頃、ある高名な音楽家の先生にこの名曲を唱うには若過ぎると言われたというエピソードを、以前明かしてくれた。永らく懐で温め続けた末にステージで唱い始めたのは、ここ数年の事だと聞く。熱唱の後、両腕を広げて喝采を浴びる小柄な身体が、一際大きく見えた。
ラストは『
百万本のバラ』。このうたも元々は旧ソ連時代のラトビアで生まれた一種のプロテストソングだったと、つい最近わかったという。登紀子さんの放つエネルギーに呼応して、お客の反応も次第に熱を帯びて来る。そこに立っていたのは、70年代少年の瞳には何だか眩しく映っていた、あの素敵な兄貴達・姉貴達だった。激動の時代を通り抜けてきた人たちだ。
“もう一曲うたっちゃおうか。”予定にはなかった『Seeds in the fields』。近年の加藤登紀子の代表曲といっていい素晴らしい一曲だと思う。変革を促すかの様な躍動するリズムに載せたこの曲で、登紀子さんの芳醇な歌の人生と、この日のテーマ『1968』が、ひとつにまとまったように思えた。
人はみんなひとつぶの種 偶然の土に落ちて芽を出す
人に踏まれ 刈り取られても 何度も土に落ちて芽を出す
誰も知らない 森の中に ひび割れた街の コンクリートに
いつか根を張り 花を咲かせる
Seeds in the fields Growing for the future
Seeds in the fields Living for today
『Seeds in the fields』作詞:加藤登紀子より
コンサートの終了後、物販コーナーで故藤本敏夫さんの『
農的幸福論』を買った。実は既にハードカバー版を持っているのだが、今回文庫になって、以前は未収録だった原稿も追加されていたので買い求めたのだ。学生運動の挫折。リーダーとしての激しい自責の念と無力感に苛まれたであろう苦悩の日々。これは、その果てに産み落とされた深い思索と先駆的な“農的生活”の実践を綴った、掛け替えの無い記録だと思う。そして今、藤本さんが命を燃焼させて切り拓いた地平に無数の種が芽吹いている。
私は重い主題をも、気負いを見せずに軽やかなステップで唄ってしまう、そんなチャーミングな登紀子さんが好きだ。勿論、年輪を刻んで熟成されたシャンソンの味わいも。食の問題や環境問題、あるいは平和の問題にしろ、世の男どもの足取りが何処か硬直して重たく感じられる昨今、時代の変化をゆるりと促すのは、草の根の女性達が育む、日々の生活に根ざしたしなやかな感性なんじゃないか。そんな事をつらつらと考えた。そして一年に一度・実りの季節のはじめに、ここ地元・北播磨にて、加藤登紀子さんのうたを堪能出来る幸せを、改めてしみじみと思うのだった。